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メンドーサの街で「7大陸南米編6」2016年

ヘリであっという間に登山口わきのヘリポートに降ろされた。標高が4300から2590mになったことで呼吸も楽に感じて暖かい空気にホッとした。お迎えの車を待つ間、命が助かったことは何よりである、でもなぜこんなことになってしまったのかと一生懸命考えた。もちろん答えなど出るはずもない。車に乗り預けた荷物を受け取って街へと走る。後部座席で横になり数日分の寝不足を取り戻すかのように眠り込んでいた。

4時間くらいでメンドーサの街に着いた。エージェントの社長セバスチャンが付き添って地元の病院へ行った。問診を受け、血液検査やレントゲンを撮る。治療や検査の前に毎回支払いを済ませ、そのレシートを持って受診するシステムだった。喘息に使用する吸入剤が処方されお昼を食べてからホテルに戻った。言葉がよくわからなかったが5日ぐらいは45度の角度で寝てそれ以外は普通にしていれば治るとのことだった。

その夜にベースキャンプで知り合ったヨーロッパグループと合流し色々なレストランで食べ歩きが始まった。皆さんは外の席が好きだった。

 

 

 

私は肺水腫が原因なのか排気ガスの刺激で咳が止まらなくなったり喋ったりしても少し息苦しい。毎晩宴会をしていても不思議なことに誰もアコカグアの話題にふれることがなかった。さりげなく聞いてみるとメンバー全員敗退と知る。やはり簡単には登らせてくれないようだ。

予定より10日以上早く戻ってしまったのでエアーチケットを変更し、入院日の調整をして帰国の手配をした。日本へ戻ることになると先延ばしにしていた手術に意識が向いてきた。とはいえ、肺の状態が回復しなくては手術は受けられない。帰るまでメンドーサの街で5日ほど、毎日美味しいものをたらふく食べて休養していた。

日本に戻り肺のCTを撮ると白い影は綺麗に消えてすぐに入院することになった。

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