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高所禁止「7大陸南米編8」2017年

高所肺水腫は病院へ行かなくても標高の低い所にいるだけで肺に溜まった水が消えていく。メンドーサの町で毎日ゆっくり過ごし休養をしていた。数日後にカズたちがアコンカグアに登頂して町へ戻ってきた。
人と比べるな、羨むな、成功を讃えようと思っていた。でもこの時は込み上がる悔しさの方がその思いより勝ってしまった。

体調は良くなっていたが次の予定に備えるためホテルに医師の往診を頼んだ。肺の水は消え飛行機に乗る許可も得られた。しかし、半年は高所へ行くことを禁じられた。気持ちが落ち込んだ、でも帰国するか、チリへ飛ぶか決めなくてはならなかった。

チケットはある、日本からかなり遠い。ならばチリで観光しようと飛行機に乗った。降り立ったアタカマ空港は砂漠地帯。

 

現地ガイドのウィリーと会い、体調の事を話した。沢山の荷物を積み走り出すと 町と町の間には砂漠しかないまるで映画に出てくるような景色が広がっていた。

最初のキャンプ地は遺跡後地(3400m )、一泊してラグーナベルデBCへ向かった。チリの壮観な地形や、美しい風景に息をのみながら体調を思う。

 

 

 

 

 

ラグーナベルデの標高は4300m、体調が悪くなったらいつでもすぐ車に飛び乗り低いところへ移動する、そんな覚悟できらめく湖を眺めていた。

 

 

 

 

キャンプ地ではロシア隊やイギリスの兵士たちが一緒だった。二泊しても体調に異変は起こらなかった。だから観光と称してアタカマキャンプ(5250m)へ行き、少し高い丘も登ってみた。非常にゆっくりと足を前に出す、するとワクワクしてちょっと楽しい感覚が蘇った。

登りたい山はチリで一番、南米で2番目に高いオホスデルサラード、この年は雪が多く南極でお世話になったロシア隊が登れなかったという。

つまり高所禁止と言われた肺水腫上がりの私にはかなり危険な試みなる。途中敗退記録を増やすより、山頂を踏める率をあげたらどうかと比較的登りやすいサンフランシスコ山に予定を変更した。行けるところまで車で上がり、倉岡さんと二人で歩き出した。1時間ごとに無線でウィリーと連絡を取り、いざという時は即下山し酸素を運んでもらう段取りだった。

呼吸に意識を集中して、標高を上げて行く。次第に雪が増えて来た。歩いても歩いても山頂が見えない。すれ違う人からはもう直ぐだよと励まされ呼吸はしっかり、足はゆっくり、祈りながら歩いていた。山頂に出るとさらに風が強く抜けていた。

写真を撮ったり、歩き回ったりしていても早く低い場所へ戻りたいとそわそわしていた。サンフランシスコ6020mは私にとって非常に高い山、観光に来たけれど山頂へ行けたことがとても嬉しい。

2017年2月6日サンフランシスコ山に登頂

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