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山頂からキャンプ2へ「エヴェレスト~7大陸アジア編43」2023年

15分程の山頂滞在を終えて10時過ぎに来た道を下り始めた。急な狭い道で登ってくる人とすれ違うのはとても困難だ。急な岩場は上がれても、それを下りるのは難易度が増す。雪面にクランポンを蹴り込んだり、小さな岩の段差にクランポンの先を乗せて下りる動作はかなりの緊張感。
かじかむ手を叩き足の指を動かして手足の感覚を意識しながらレギュレーターのフラム部分を凍らないように数十分おきに叩く。ユマーリングだけでは体が不安定で反対の手はロープを掴み無心で下り続けた。可能な限り早く低いところへ行きたい。尾根をすぎると少し広くなり、来る時に暗くて見えなかった景色がよく見えた。登りの混雑はすっかり解消してみんなどこへ行ってしまったのだろう。大きな岩場で上部から平らな場所におり、下の段の懸垂下降をしようとしたらロープが引けない。前の人はすでに降りて、ロープから離れていた。
仕方なく無理やりロープをセットして岩壁を降りることになった。雪面まで後2メートルのところまで来たら横たわっている人が見え、ロープが引けない原因がわかった。滑落して亡くなってしまったのだろう。ダウンワンピースの切れ目からダウンが空中に舞っていた。

サウスコルが見渡せる丘まで下りてくると少し緊張感が和らいだ。
自分たちのテントに戻ったのは14時30分位だった。IKUは着いた途端に地面に大の字に倒れこんだ。一度腰を下ろすとなかなか次の動きには移れなかったが、トイレをしたり、荷物をまとめて撤収作業に取り掛かった。隊長はペンバーと泊まってから降りることになり、一番動けているアッキーはシェラと先に下り始めた。

IKUは歩いてはすぐに止まり、動けないと言う。私はゆっくり下りようと励まし、ミンマにIKUの事を託した。私は一人で歩き始めたが、雪の壁の上で不安になりIKUとミンマを待って見える範囲で行動していた。ローツェフェースのトラバースに入ると急に足がふらつき出した。バランスが取りにくくて嫌な感じがしていた次の瞬間、道から逸れてロープに繋がったまま2メートル落ちた。それを見ていたIKUの叫び声で気を取り直し、崖を登り返し道へ戻った。そこからはより慎重になり、前を歩くミマカンサと一緒に下りることにした。どこまでも続く雪の斜面をなん度もロープを掛け替えて、下りても下りてもキャンプ3に辿り着かない。

後200メートルくらいでキャンプ3に着くと言うときに酸素がなくなった。ミマカンサに酸素がない、キャンプ3には酸素があるのかと聞くと無いという、とにかく頑張って下りるしかないと言われた。岩場の懸垂下降になると下に人がいてロープが繰り出せない。だんだん体が動かなくなり目の前が白黒になってきた。ミマカンサの酸素をくれないかと聞くと、NOと言われ、次第に疲れと眠さに加えて酸欠状態で完全に動けなくなった。右手のロープを握り締めたまま岩場にもたれ立つこともできなくなった。日本人女性がエヴェレスト登頂後に酸素不足のため死亡したニュースが頭によぎった。全く苦しくない、やり切った気持ちが強く意識が遠のく事は嫌ではなかった。

朦朧としていると目の前にペンバーが現れ、あっちの世界に行ったのだと思った。泊まってくるはずの人がいるはずないからだ。そして暫くしたら目の前がはっきりとして体の感覚が戻ってきた。ペンバーが酸素をくれた。その脇には隊長もいた。足の感覚が戻るのを待ってキャンプ3を目指した。その途中で下からはプリタが酸素ボンベを持って来て交換しながらキャンプ3を過ぎ、さらにキャンプ2を目指した。

日が傾き始める頃には、足の重さを感じるようになった。雪の斜面が永遠に続くように感じ、滑り落ちないように凍ったロープを腕に巻きつけ己を奮い立たせて死にかけた命を大事に動き続けていた。

たくさんの酸素ボンベを担いでいる知らないシェルパさんから水はないかと聞かれても、あるはずもなく、それぞれが残った力でなんとかするしかなかった。日が沈んだ頃に氷河の入り口に着いた。IKU達も休んでいて、そこへアンプルバが温かい飲み物を持って来てくれた。甘過ぎて嫌いだったジュースがこんなに美味しいなんて。何度もおかわりをして酸素も交換して再び歩き出した。

テントに戻ったのは23時30分。疲れていてもすぐには眠れなかった。何もしたくないけれど、力を振り絞ってオムツを脱いでコンタクトを外して眠りについたのは深夜の1時になっていた。活動時間は43時間、その間摂取したのはゼリー1パックと250ccの水分だった。

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