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またいつか会える日まで

先月の8月13日の朝、倉岡隊長から田村さんが亡くなったと連絡が来た。その文字を目にして眠気が吹っ飛び、鼓動は激しく言葉を失った。

彼に初めて会ったのは2016年1月、南米大陸最高峰のアコンカグアのベースキャンプだった。その頃乳がんが見つかり手術を延期して臨んだものの私はベースキャンプ(標高4367m)で高地肺水腫になってしまった。救助ヘリで下山して街のホテルで療養しているとヨーロッパチームとの夕食に誘ってくれた。色々な話をしながら帰国したら癌の手術をすると伝えたら大変心配してくれた。

その次に会ったのは翌年2017年南極大陸最高峰のビンソンマシフに登った時だった。
南極の登山はテントや食糧などの荷物全てを自分たちで運びゴミ類は全て持ち帰って登山するスタイルだ。リンパ浮腫を患ったばかりの私は重たい荷物を運ぶと腕が痺れたりと辛い登山体験だった。11人のパーティは2つのチームに分かれ、私は頂上の下まで田村さんのチームにいた。歩くのが早くて何度もゆっくりお願いしますと頼んでもペースが合わなかったことを今でも鮮明に覚えている。結局山頂へは倉岡隊長のチームに入って登頂することができた。

その後は一緒に登山することはなかったけれども日本で行われたツェルマット会に声をかけてくれたこともあった。
この数年間はコロナウィルス感染拡大で会うことはなくなってしまったけれど、北九州のサミッターS 氏から、今年プモリヘ登るようだよと聞いていた。
そして、倉岡隊長からもエヴェレストのベースキャンプをシェアすると現地で知った。

私たちのエヴェレストチームはプモリで高所順応登山する予定だった。しかし、雪の状態が悪くてプモリに登ることは止めた。丁度、最後の順応を終えてベースキャンプで休養しながら出発に向けて準備している時に彼のチームが現れた。
来るまでに他の山で足が腫れてしまった田村さんは今回は山へ登れないでいた。そして足を引きずりながら体調の悪いメンバーのお世話をしていた。
その次に会ったのは私たちがエヴェレストに登頂後、カトマンズのホテルで天国ジジィがお祝いしてくれた席だった。
そして6月に山の仕事で来日していた時にアウトドアブランドを扱うフルマークスの店でスタッフみんなと私の登頂話で盛り上がった。

それが会った最後の日になるなんて、、、、。
パキスタンの山へ行くことは知らなかった、、、。
山を登るようになり、厳しいところへチャレンジするようになった頃から毎年知り合いが命を落としてきた。その度に悲しみと寂しさに幾度となく心を痛めてきた。絶対的な安全がない山では避けられないことでもある。田村さんは世界の山で何度も危険な体験をしてそれを回避してきたのだと思う。それでも今回だけはそうならなかったと思うと心が締めつけられる。
私が治療で苦しかった時にもっと気楽にやればと励ましてくれた。

戴いたカップはこれからも大事に致します。どうか天国でも素敵な笑顔で過ごしてください。そしていままで本当にありがとうございました。

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