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リハビリとホルモン療法

退院してからしばらくはゆっくり過ごしていた。傷が痛んだり、腹部が差し込んだりとなかなか体調の良い日は少ない。リハビリに嫌いな家事をするくらいなら外へ出かけることにした。しかし雪で風除室のドアが開かない。困っていると近所の人がやってきた。

いつ帰ってきたの?ここはやるから中で待っていなと、湿った雪をどかしてくれた。力仕事は禁じられてるからとても嬉しかった。毎日が強い不安でいっぱいで色々な人に電話をした。今まで一緒にクライミングをしていた人が乳がんで全摘したことも初めて知った。すがるように話を聞いて、生涯クライミングができないなんて嘘だと確信した。今はまだ難しいけれど、折り合いがついてくると色々なことを乗り越えられるという。

友人で癌患者さんのカウンセラーをやっているのんちゃんには家族は親身になってくれず、話すほど深く傷つき落ち込んでしまうと相談した。それは家族は第二の患者、同じようにパニックになっているんだよと教えてくれた。そうなのか、、、少し気持ちが軽くなり自分に都合の良い言葉がなくともいいやと思った。退院してからかなり精神が揺らいでいた。訳もなく悲しくなり人目を忍んで泣き暮らす毎日。なぜこんな目に合わなくてはいけないのか?と答えのない問いを掛けては憂に沈んでいた。

このままでは魂まで朽ちしまうという恐怖に見舞われた。私は夏にキリマンジャロへ行くんだ、そのための準備をしよう、落ちている場合ではない。痛みに我慢できる範囲で体を動かして良いと言われたので、東京へ行きリハビリに打ち込むことにした。

肩関節の可動域を戻しながら筋力を取り戻すリハビリトレーニング。しびれて動きにくい右腕を意識してトレーナーさんと毎日1時間打ち込んだ。

 

その後最終的な病理検査と今後の治療を決めるため北海道へ。ステージ1、ルミナール A、リンパ節転移はなし、ホルモンレセプター陽性。転移率が低いガンで所見通りの結果だった。それでも放射線治療とホルモン療法(内服5年、皮下注射2年)が推奨された。

手術の時のように知らない済まさないように、副作用のところをじっくり聞いた。ホルモン療法はやりたくないと思った。乳腺専門看護師さんと90分以上話し合い治療に耐えられなくなったらやめるということで落ち着いた。注射の部屋に行くと腹部をアイスノンで冷やされた。まずは1ヶ月タイプのゾラデックス製剤をつかう。針が太く抜かれてもしばらく痛みが残った。

これを2年続けるのかと考えたら、また涙がこぼれた。

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