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入院~手術

2016年2月8日に旭川医大へ入院。術前の診察で手術の内容を聞くと右乳房の部分切除をして右脇リンパ節をいくつか取りセンチネル生検を行うという。もしリンパ節に転移が見られたらその全てを取り除くとも説明があった。こういう説明の時は”それは嫌ですやめて下さい”という選択はない。さらに術部にドレーンを刺し体液を受けるバックを取り付けるというからはいわかりましたと答えた。温存手術で、放射線治療と薬物療法へと続くと説明をされた。最終的には病理検査をしてその結果により今後の治療法が決まる。

そんなに大変じゃないと思った。

病室に戻り休んでいると、麻酔科医が説明にやってきた。とにかく痛いのは嫌だから術後もコントロールをしてほしいと頼んだ。そして9日朝から手術に備えて準備する。術着になり手術室までは歩いて向かった。広い手術室、真ん中のベッドに横たわると数名の人に取り囲まれた。点滴のルートが確保され、口にマスクを当てられるとどこか遠くにふわっと飛んで行った。
次に気がついたのは移動中のベットの上だった。手術は無事に済み、リンパ節は全て取らずに済んだと告げられた。部屋に運ばれ、ベッド右脇にはクッションや枕の上に右腕を乗せるように寝かせれた。うとうとと過ごしている中で時々看護師さんが点滴の交換に来てくれる。夜に麻酔が切れてきて何度か痛み止めをお願いしたがあまり効かない。担当医の確認がないと他の薬は出せないと言われ痛みと重だるさに耐えていた。朝の回診の時に点滴の痛み止めを入れてもらうととても楽になった

翌日には歩けたので尿道カテーテルを抜いてもらい管が一つ減った。寝返りが打てない以外はそんなには辛くなかった。食事を摂るようになると看護師さんは何かのマニュアルに沿って色々な確認をする。その一つに”傷を見ることができるか?”というのがあった。最初はためらう気持ちがあったけれど時間をおいて傷を恐る恐る見てみた。
鏡に写る術部はガーゼで覆われているだからその下がどうなっているのかわからない。なのになぜそれを見ろと言われるのか首を傾げた。ドレーンバッグがあるうちは外出の許可は降りない。日中はなるべく動くようにとも言われていたので建物の階段を上り下りして日に日に元気を取り戻して行った。入院中は時間がたっぷり、倉岡さんに連絡を取り、次の山の予定を立て始めた。夏にアフリカ大陸最高峰キリマンジャロと二番目に高いバティアンへ行こうと決めた。

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