日本に帰国
ケニア・ナイロビからロストバックも遅延もなく日本に帰国した。1月に罹った高山病・肺水腫のこと、2月の手術とその後の癌治療など登山には不安要素ばかり。だから登頂できたことは自分の中で人生最大の喜びに感じた。と言ってもその喜びを誰かと共有することは難しいので自分の心の中のしまっておく。日本に戻るとまず和食を食べに行った。その次の日はお寿司と食欲が暴走していた。
そしてまたお腹に注射を打つ日がやってきた、今後は山の予定に合わせて1ヶ月タイプと3ヶ月タイプの注射を打つスケジュールも立てていかないとならない。脇の下の突っ張り感も気になる。腋窩の一部が線状に浮き出て伸びない糸のようになり引き攣れ感が強くその後側は感覚がなくて横側は痺れている、新しい症状が増えてしまった。病院へ行っても様子を見ましょうとしか言われない。たった4個のリンパ節を取っただけでなぜこうなってしまうのかと気持ちが重たくなってしまう。
山にいる時は目の前のことに必死になり、シャワーに入れる時間も減るから傷のことはあまり気にしないでいられた。そんなふうに忘れていた事柄は日々の生活に戻ると癌のことや治療中であることを思い知らされてしまう。月末に友人と瀬戸内アートフェスティバル2016へ出かけた。直島では3人で一つの部屋を使った。体が火照り酷くて暑い、だけれど部屋の温度を下げるわけにはいかなくて睡眠もよく取れなかった。こんな状態では他の人と一緒の部屋にも泊まれない。9時間横になったとしても睡眠は6時間がせいぜいなのだ。治療をしていくうえで今後の生活スタイルも変えていく必要があると思った。
帰国してからは疲れが出たのか体調は万全でない、毎日体がだるくてやる気が何も起こらない。それなのに保留にしていた話、南極での登山に参加しますと返事をした。キリマンジャロに登れたら参加しますと伝えてあっただけではなく申し込み期限が迫っていた。出発は年末だ、それまでには元気が戻ってくるだろうとも思っていた。9月は比較的のんびりと過ごして、南極へいくための参加申し込み用紙や健康診断書など提出書類を準備していた。
10月は海外出張をしたりしていたら、術側の右腕がどうもおかしい。だるくて重たく左と比べても骨の浮き出方が違う。その状態は日によって変わったりして、なんだろうと思っていた。そして・・・・・それはリンパ浮腫の診断が下された。乳がん術後にリンパ浮腫になるのは10%ぐらい、なのにそれに当たってしまうとは・・・。
重症化しない治療は皮膚の保湿、セルフマッサージに弾性スリーブをはめて軽めの運動をすることだった。日中は自分に合った治療用のスリーブを腕と手にはめて、寝る時は外す。寝る時は横向きなると右でも左でも腕が痺れて感覚がなくなるので、クッションに腕を乗せて高くして上むきに寝ることになった。
トレーナーさんは本当に大丈夫なのかと気にかけてくれたが、スリーブを着けて週一回のトレーニングはやめなかった。合併症で避けたいのは蜂窩織炎。そうなると入院が必要、だからそうならないために傷を作らない努力をして3週間ほどで浮腫がなくなった。
患肢の右腕は鍼も点滴も注射も傷も禁忌である。他に気になるのは、治療には費用がかかることである。この弾性スリーブは手袋と合わせて2万円以上した、注射も1回およそ1〜2万円と治療費がかさむ。