退院
入院は上げ膳据え膳がとても嬉しいが、それ以外は監視をされているようで落ち着かない。術後は痛みがあったり、思うように体が動かせなくて辛かったけれど、日に日に回復していくことを実感していた。
点滴の管が外れてドレインバックだけになると積極的に体を動かすようにといわれた。院内の階段11階まで往復していると、そこまでしなくて良いと主治医に言われた。体が動き出すと色々なことを前向きに考えるようになり嬉しかった。
退院日の前日、朝早くに術部に刺していたドレーンが抜かれた。大きなガーゼがちいさなものに変わると術後の右胸を初めて見ることに。
鏡の前に立ち、映る姿を目にした時全身に衝撃が走り抜けた。温存するってこんなことだったの?
癌の部分は1センチに満たないのに、えぐれたようになっている。
ショックで言葉を失い呆然と立ち尽くしてしまった。
そこに看護師さんが今後の生活の注意点の説明に来てくれたので、話を聞こうと溢れそうな涙を一度引っ込めた。
禁止事項はリンパ浮腫予防のための内容だった。術側の右腕は血圧も測れない、注射、鍼、重たいもの、傷、虫さされ、負担のかかる運動、運転 諸々全て禁止。でいて家事は積極的にしましょうという。
クライミングはどうか?
つまり手で岩を掴んで体を引き上げて岩を登ることだと説明すると、それは今後出来ませんという。その言葉を聞いたとたん、喉の奥が熱くなり全身の血の気が引き倒れそうになった。もう他の説明はどうでもよかった。絶望感で頭は空っぽ、こんなことになるなら手術を受けない選択だってあった。
昼食を食べに外に出かけ夫に相談すると、言う事を聞いていればいいんだと怒鳴られた。この言葉にさらに打ちのめされてしまい、崖っぷちに立たされたというより、崖っ淵から飛び降りたいとすら思った。
手術を受けずに5年元気なら今まで通りのチャレンジができる、延命したために岩登りもできなくなる人生なら前者を選びたいと思った。石灰化の時に手術してくれたらこんなことにならなかったんじゃないかと叫んだ。
こらえていた感情が溢れ出し、大粒の涙とともに嗚咽が止まらない。病室でも泣きじゃくっていたら主治医がやって来た。クライミングができないってどういうことか?涙目で睨みつけた。するとそんなことはない、いずれできるようになるという。手術内容を間違えて私に説明したという。え?ウソだったの?それなら良かったけどまた涙が止まらない。変形した胸については、今はまだ待って欲しいと言われ一度思いをしまうことにした。
2016年2月8日入院、9日手術、15日退院。