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屋久島リハビリ登山

放射線治療が終ったら屋久島へ行くことにしていた。私の山歩きの原点である。始めて島へ行った時に「私、30分しか歩けません」と言った。そんなことを言った人は後にも先にも私しかいないと現地ガイドさんの話題になり、今だにそのことが語り続けられている。雨でキラキラする森に魅せられて、屋久中になっていた。

有名な焼酎三岳の永田岳・宮浦岳・黒味岳を日帰り縦走した時に自分が強くなってきたと実感できた。自信の持てない事ばかりの日々に元気がもらえたのはこの島のおかげ。だから、エネルギーを満たしに行きたのだ。ちょうど震災の後だった。九州へ山登りに行くなんてのんきなやつだと思われようが構わない。屋久島に暮らす人々はキャンセル続きで困っているとも聞いたので予定は変えなかった。とはいえ天気が不安定。飛行機は条件付き飛行で場合によっては鹿児島から福岡へ行くと言う。私が目指すのは南の島、福岡ではない・・・。屋久島へ飛んでくれと願い、手に汗握るほどの揺れの中島に着陸した。着いた日の夜は落雷の嵐で停電もあったりと穏やかではない。しかし私は治療から解放され嬉しくてたまらなかった。天気を調べると明日しか良くない、山へ行けるのは1日だけとなりそうだ。それならば目指す山頂は’本富岳’、私をマッターホルンへ導いた頂きである。

かつてと変わらぬ森は静寂と潤いに満ちていた。

花崗岩のフリクションが膝を掴む。苔の緑は目を憩い、巨木の佇みにかしこまる。沢の音と鳥のさえずりが心を穏やかにしてくれる。治療で体調悪いし、癌がどこかに転移するかもしれない。体も心も傷だらけ。不幸中の幸いと言われたけれど、そんなこと言われたくない・・・。

海をみつめ。風に吹かれ。湿った香りをたっぷり吸い込んだ。雨にも降られたけれど山頂の岩を登ると風が雲を押しのけて景色を見せてくれた。この神がかり的な瞬間に山が登らせてくれたんだと思った。

美味しいものを食べて島の人々と触れ合えとても心地よかった。もう少しだけ、治療を続けてみようか?嫌ならいつでも止めればいい。様子を見る感じで臨めば気持ちが楽になれるかもしれない。

北海道へ戻って、もう一度注射を打とう。
森の道しるべのピンクのリボン、これからは違う意味にもなっていく。

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