荷揚げ2「7大陸北米編6」
キャンプ3にいると後から来た知り合いのインドネシア隊がキャンプを上げていった。
私たちはカーティースの判断でレストすることに。
やったーと思うメンバー半分、何で?と思うメンバーが半分いた。
私は前者である、急いで上がることは望んでいない。
1日休むとその次の日は上に荷揚げする。
さらに荷物を減らそうと少しでも余った食料等を欲しい人にあげたり、キャンプ地に埋めて行くことにした。
私たちはこれをデポ市と呼び、不要なものをどんどん手放していった。
そして、今度は上にあげる1週間分の食料や燃料をパッキング。
日々食料が減っているのになぜかあまり軽くならない。
荷物を運ぶ日は朝食が早いはずなのに、
6:30の朝食が8:30になり、9:00出発の予定は10:30になった。
急いでいるわけではないが、いつも言われた時間からかなり遅くなる。
時間通りの私たちにカーティスは今後は時間を決めないという。
朝も呼びにいくまでは寝袋に入っていろと指示される。
なぜこんなに時間がずれてしまうのか私たちはイラつていた。
しかし、勝手に火はいじれないので、待つしかない。
目指すキャッシュポイントは4115m、ここからはスノーシューをアイゼンに替え、
ソリも置いて行く。出発までお腹の調子が今ひとつだったけれど歩き出したら問題はなかった。 ポイントまで4時間半、カツとアツは重い荷物がへっちゃらで、
いつも元気だ。それに反して不機嫌になっている人もいた。
そしてその翌日2017年6月25日10時30分キャンプ4(4328m)へ向けて出発!
キャンプ4につ着いたのは18時過ぎ。休む間も無く整地、テント張り、疲労がみんなをハイにさせる。スコップを使っていると息が切れるので呼吸を整えながら、クラクラしたら少し休む。 スコップは三種類あった。水を作るため専用、硬い雪を割るブルドーザタイプとそれ以外。一人1本運ばされてこんなに必要なのかと尋ねると、スコップはライフライン、必ずいるという。Jさんが私の近くにスコップを刺し、怒り口調で変わって下さいという。
黙っているつもりだったけれど 乳癌で皆んなと同じようには働けないと説明。それまでなんで私だけ楽をしているのかと睨まれていた。
病もハンディだが肺水腫にならないようにと強く願う。底冷えする一晩を過ごし体調が変わらない事を確認。次の日は下に埋めて来たキャッシュ品を取りに行く。
軟弱な私にカーティスはもっと強くなれとけしかけるが、急に強くなんてなれない。埋めた場所へ行くとカラスに荒らされオートミールなどの袋が破かれ粉が散乱していた。荷物を掘り起こしキャンプに戻った。