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5月の連休後半「エヴェレスト~7大陸アジア編36」2023年

標高6500mにあるキャンプ2には個人用の休むテント、ダイニングとキッチンテント、少し離れたところにトイレのテントが設営されていた。到着してしばらくはダイニングの椅子に腰掛けて呼吸に意識を向けていた。呼吸に意識を集中させるといえば瞑想、しかしついでに瞑想をしようという余裕はなく、SPO2を測ると75%で心拍数は87だった。

お昼を食べた後もダイニングに残り電子書籍を読んでいた。個人テントは下に座る姿勢になるので立つことができる椅子の部屋がいい。アッキーがここのトイレは凄いよ行ってみた?と聞くので恐る恐る中を覗くと、大きく掘られた穴に鉄パイプが渡されていた。用を足す足場は不安定で、しゃがむ時にはトイレの柱の鉄パイプを掴んでいないと落ちてしまいそうだ。匂いは我慢できる範囲だけれど、視覚的にはよろしくない。再びダイニングへ戻って休んでいると、キッチンから作りたてのポップコーンをもらった。顔の周りの痺れを感じながら順応を願いおやつをほおばる私、その脇ではミンマはバックパックにタンクを5本詰めている。25キロを背負って夜に最終キャンプ地のサウスコルへ運ぶという。私の頭がくらくらしている間にも登るための準備をしてくれている。今ここにいるシェルパさんは山頂へ向かうメンバーで、強者の中の強者さんである。

2日目の今日は休息日、ここでも時々ヘリの音が聞こえてくる。ヘリポートがないから着陸しないで荷物の上げ下げを行っているのだろうか?午後からは風が強まってきてダウンワンピースを着ていても寒い。合間を見てワンピースを着たままでのトイレの練習と飲み物を胸の内ポケットに入れて登頂日のイメージ練習をしていた。ここでの食事は温かい状態で運ばれて来ても、気温が低いからすぐに冷めてしまう。食後はSPO2が下がり体が痺れるから、冷めてしまっても急がずよく噛んで食べるようにしていた。

登頂のときにはここまで1日で来るという、大丈夫だろうか?と考える。今回かかった時間を計算しても半日以上の行動になるのだろう。時間があると頭には不安なことばかりが浮かんでくる。咳と痰はかなり治って、その代わりにお尻が被れてきた。そしてここでも、フゥッと何か力の湧いてくるものが体に降りてきた。
3日目の5月8日、一晩中の強風はテントが飛ばされそうな勢いで、朝方には細かい氷の粒が降ってきた。朝食を食べたら今日は順応歩きに行く予定。しかし強風が止まずに10時30分頃から準備して、待機して歩き始めたのは12時10分前だった。

 

初めてC2の中を歩く日に、ペンバーの歩みが早くて息が苦しくてならない。気持ちが慌ててしまったけれど、キャンプを抜けて氷河に出てからの歩みはゆっくりになると気分が落ち着いた。時々突風が吹き、その度に足を止めて耐風姿勢になっては進んでいた。この時に今までの雪山での体験が蘇り、何かの力が気落ちを押し上げてくれた。呼吸が落ち着くと歩く嬉しさも込み上がって、目には涙が溜まってきた。前が見えなくなるじゃないかと自分に怒りながら、がんになったことや体調が大変だったことなども一気に思い出していた。結局、風が強すぎてローツェフェースの取り付きまでは行けなかった。

4日目の今日はベースキャンプへ戻る日。明るくなってからテントの中では置いていく食料などの荷物の整理をして、悴んだ手で喝を入れて寝袋を袋に詰めた。寒くてやる気が起こらない上に、力の要る動作には息も苦しくなる。朝食を食べても風は一向に止まず、荷物を詰める最終作業はペンバーに手伝ってもらった。ハーネスをつける前に強風で半壊したトイレに行って、クランポンをつけたらまずはC1目指して降り始めた。太陽が出てきて温かさに幸せを感じ、C1は思っていたよりも早く見えてきた。その途中で大きな荷物を背負った冒険家のシカ男さんが登ってくるところにであった。アイスフォールでは危険箇所を急足で通過し、休憩は2回ほどで降りた。

 

ベースキャンプへ戻ると、そこが安らぎの場所感じた。体調不良が続いていたので、キャンプ2へ行けたことが本当に嬉しい。そこから上は行けるとこまで行けたらいいや。5月9日ベースキャンプへ戻る。

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