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山頂へ「エヴェレスト~7大陸アジア編42」2023年

15分だけ目を閉じて荷物に寄りかかりながらの休憩から出発の最終支度を終えた。7900mの世界はテントから外へ出る動きすら体が思う様に動かない。さらにこれからデスゾーンと言われる8000mを超えて山頂を目指す。
特別な気合いや意気込みなどは全く起こらず、いつもの山の歩き始める時の感覚と何も変わらない。平坦な最終キャンプ地から登り道へ向かうと比較的なだらかな雪の斜面が前の方へと続いていた。次第にその斜面の傾斜が強くなると前を歩く人たちに追いついてしまった。数歩動いては止まって待つそんな歩みになり、進みたくとも進めない。1時間経っても2時間経ってもそれは変わる事はなく、上を見るとヘッドライトの灯りが線を描いていた。

朝の渋滞対策として早く出発する作戦に出たが中国からのたくさんのチャレンジャーはもっと早く出発していた。酸素ボンベの本数は決まっているからバルブを絞って無駄遣いしないように調整した。時折、後から来た人たちがセルフビレイ(安全確保のロープに付けるバックアップとユマーリング)を外して追い抜いていくチームが過ぎていった。私たちもこのままでは渋滞で時間切れとなり、途中で引き返すことになるだろう。今回も敗退か、、、でもこれが最後の挑戦。この状況から思い出すのは2019年の渋滞による多数の死者が出たニュース。もはや他人事ではない。

落胆的な面持ちで立ち止まっているとペンバーが行くぞのサインを出した。歩くのがとても遅い人や辛そうに止まっている前の人を抜かすことになった。抜かすことは良い、でもバルブを絞ったままで急足で動くとその度に短距離走の後のように息が苦しい。進んでいる嬉しさと反対に息の苦しさに’エヴェレスト登山はゆっくりと動くから足を前に出していれば登れる’の話はどの事だろうかと頭をよぎった。
混んでいたのでちゃんとした休憩は取れず、酸素ボンベを交換する数分の間に足を止めるくらいだった。泣き喚く人、座ったまま亡くなってしまった人の脇を何の感情も起こらないままひたすら歩く。風は強まり、寒さは感じても他の人の異変には情けも容赦も何も感じない。辺りが少しずつ明るくなって、視界が開けてくると岩と氷や雪の急な登りが行っても行っても先へと続く。いよいよ最後の尾根に出たと思い後どのくらいかと聞いたらここから1時間はかかると言われ気が遠くなった。

デスゾーンを歩き始め、すでに10時間は経っていた。最後の1時間は急なだけではなくて足の置き場が不安定でその脇の斜面は深く切り落ちていた。引き返してくる人とすれ違うのも非常に困難で、カイラス(登山用品メーカー)を着た人たちは譲ってくれることはなかった。少し前を歩いていたIKUが座り込み、酸素が出てこないと訴えて来た。付き添ってくれているミンマが酸素マスクの交換とか対応してくれていた。それに合わせて私たちは止まる事はできない。進むしかないので彼のことは任せて先に山頂へ向かった。目の前の80メートル先に人だかりが見えてそこが山頂だと分かった。隊長とアッキーが写真撮影をしていて、私も急いで写真を撮る。

斜めの壇上になった山頂に腰掛けて、世界で一番高い場所から辺りを見渡した。こんなに待ち望んだ瞬間はないのに長くは滞在できない。IKUも山頂に合流して私たちのチーム全員が登頂することができた。そして10分位の滞在ですぐに私達は下山を開始した。


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